§　池袋某ラーメン屋

極めて平和な一日だった。
殺人事件が起きたわけでもなく、どこかの銀行に強盗が押し入ったわけでもない。
主だったニュースといえば、最近落ち目だったアイドルが昨日婚約発表をしたというものだけだ。
昼のワイドショーは、どうでもよいニュースをまるで一大事件であるかのように取り上げている。
備置きのテレビからそんな平和なニュースが流れる池袋の小さなラーメン屋。
極めて平和な風景だ。

しかしそんな平和な状況に身をおいているにもかかわらず、田中トムの周囲は緊張感に包まれていた。
原因は彼の部下である平和島静雄にある。
さらにいえば、大元の原因は折原臨也にある。
長年犬猿の仲であった臨也が、静雄を罠にはめ、そのまま姿を消したのだ。
静雄は臨也をボコろうと東京中を探したのだが、結局臨也は見つからなかった。
そのため、静雄はいまだ発散することのできない怒りを内に秘めたままでいるようだ。
現に、感情に任せて静雄が握りつぶしたのだろう。折れているというよりは、むしろ粉々に砕け散ったという体の割り箸が机に散らばっていた。

「静雄。割り箸折れてんぞ」

トムは、そっと静雄に指摘した。
これ以上、周囲に威圧感を与えるのは望ましくない。

「昨日有給をとった分、今日は仕事がたまってるからな。さっさと食えよ」

そういいながらトムは、静雄のラーメンにチャーシューをのせてやる。
トムは、特に面倒見のいいタイプというわけではない。しかし、長年の付き合いから静雄の扱い方は心得ていた。

「すんません、トムさん」
「気にすんな。お、もう1時じゃねーか」

トムの視線につられるように、静雄もカウンターのテレビに目を向けた。
全国ニュースの時間になったのだろう。アナウンサーが口早にニュースを読み上げていた。

『それでは、朝のニュースの続報です。
　昨晩、××県○○市で刺された男性の身元が判明しました。
　被害者の男性は、東京都新宿区在住の折原臨也さん25歳。折原さんは、昨晩○○市の路上で何者かに腹部を刃物で刺され、現在意識不明の重体です。警察は通り魔事件の可能性も――』

「ん？」

トムは、聞き覚えのある名前に、思わずラーメンを食べていた手を止めた。
トムと折原臨也は知り合いというわけではない。しかし、トムも池袋で仕事をしている以上、臨也の噂はよく耳にしている。
その臨也が東京から遠く離れた地で刺されたというニュースは、少なくない驚きをトムに与えた。

――ま、いつかこんなことになるんじゃないかとは思ってたが。

そこまで考えて、トムは隣に座る静雄を見た。一昨日、闇医者の家ですべての成り行きを見守っていたトムとしては、静雄がこのニュースに見せる反応が気になったのだ。

犬猿の仲である臨也が刺されたのだから、静雄は喜ぶのだろうか。
それとも、一昔前の少年漫画よろしく「俺以外のヤツにやられるなんて…！」と憤るのだろうか。
しかし、実際に静雄が浮かべていた表情はそのどちらでもなかった。
静雄は全くの無表情だったのだ。

「トムさん、すんません。今日は欠勤扱いでお願いします」

静雄は無言で席を立つと、トムに向かって一礼した。その顔はやはり無表情で、そこから何の感情も読み取ることができない。
長い付き合いのトムでさえ、こんな静雄は初めてみる。平和島静雄という人間は、基本感情の起伏が激しい人物のはずだ。

「……お前、どうしたんだ？」
「今無性に蚤虫を潰したい気分なんで、ちょっと殴りに行ってきます」

静雄はそう言い捨てると、足早に店を出て行った。
トムが聞きたかったのは、そういうことではなかったのだが、尋ねようにも静雄はもういない。
そこで、仕方なくトムは伸びたラーメンをすすった。

――午後の取立てどうすっかなぁ。

そんなことをぼんやりと考えているうちに、静雄がラーメンの代金を置いて行かなかったことに気づき、トムは深いため息をついた。


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