静雄は話を終え、大きく息をついた。
今までずっと隠してきた事実がばれてしまったのというのに、不思議と気分はすっきりしていた。
それは秘密を告白する相手が溺愛する弟だったからかもしれない。
「臨也は何も覚えていなかった。自分が誰なのかも、そして昨日までに起こったことも全てだ」
「…それで?」
「焦ったさ。ひょっとしたら悪い病気にでもかかってんじゃねぇかってな。でもあの病院には戻れねーしよ、命を狙われてるんだったらホイホイ外出するっていうわけにもいかねぇ。そうなると、俺が頼れる相手は新羅だけだった」
静雄は、病院から持ち出したCTスキャンの画像と手紙を新羅の家まで持っていった。
その際に臨也の名を騙ったのは、そうする方が違和感が少ないと思ったからだ。
臨也は元来気まぐれな性格をしている上に、人間観察を趣味としている。その臨也が記憶喪失になった静雄を連れて姿をくらますという行動は、静雄が臨也を連れて姿をくらますという行動よりもはるかに理由付けがしやすいと思った。
現に新羅は当初手紙に書かれている臨也の行動に疑問を持たなかったようだから、きっと何らかの理由を作り上げて納得したのだろう。
「…納得できないな。臨也さんを連れて外出できなかったなら、新羅さんを呼べばよかったじゃないか。姿をくらます必要はない」
「あのノミ蟲が梃子摺っていたんだ。敵の素性も分からねぇ。そんな奴らを相手にセルティたちを巻き込みたくなかった」
それなりに説得力のある理由だった。
新羅に事情を話せば、何だかんだで面倒見のいいセルティが事件を解決しようと動き出す可能性は十分にある。静雄は、仲のいいセルティが自分達のせいで厄介ごとに巻き込まれることを望みはしないだろう。
しかし、幽は静雄の話の真偽を見極めるかのように目をじっと見つめる。
そして小さく首を振ると、静雄に聞こえるか聞こえないかの声で呟いた。
「兄貴らしくない」
「あ?」
「そんな風にごちゃごちゃ考えるのは兄貴らしくないって言ってるんだ。兄さんは、必死に理由をつくりあげて自分を納得させようとしているように見える」
「…何が言いたい?」
「本当は臨也さんと二人でいたかったんだろ。それで姿をくらました。でもただ姿をくらませるだけでは、騒ぎになる恐れがある。だから、新羅さんにコンタクトをとりそれとなく近況を伝えることにした。俺達が騒ぎ出さないように」
「……」
「兄貴は、臨也さんとの生活を誰にも邪魔されたくなかったんだ」
幽は、静雄の目を真っ直ぐに見つめると、はっきりと言い切った。
普段口数の少ない幽が、これだけ話すことは珍しい。
静雄は幽の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「そうかもしれねぇな」
「……」
「俺は臨也のことが好きだ。それは間違いない」
「兄さん」
「だからお前の言うとおり、俺は臨也を外の世界から隔離した。誰とも連絡をとらせないようにして。あいつが俺以外の人間を見ねぇように」
「臨也さんが記憶を取り戻せば、こんな生活が続くわけない」
「ああ、あいつはこんな俺を嘲笑うだろうよ。そして、自分の敵ではなくなった俺を見て、あいつは俺への興味をなくすだろう。俺はそれが怖い」
怖いという言葉とは裏腹に、静雄の顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。
こんな笑い方をする静雄を、幽は今まで見たことがなかった。
それだけに少し、焦る。まるで少しの間に、兄が自分の知らない存在にでもなってしまったかのような。そんな焦燥感を抱いた。
――いや、これは兄さんだ。俺は兄貴を連れて帰るって決めたんだ。
幽は小さく手を握り締めると、口を開いた。
「こんなの、茶番だ」
「…あ?」
「兄貴が気に入っているのは、記憶を失った臨也さんだ。兄貴は別に臨也さんが好きなわけじゃない。臨也さんは天敵だったはずだろう? 兄貴は、記憶のない臨也さんが以前とは別人に見えて混乱しているだけなんだ」
「…幽」
「いくら記憶を失ったって、臨也さんの本質は変わらない。あの人は、狡猾な人だ。記憶を失ったときに、丁度近くにいた兄さんを利用しているだけなのかもしれない」
「……」
「臨也さんが記憶を取り戻せば、きっと兄貴は今の感情が一時の気の迷いだってことに気づく。だから…」
「もういい」
言葉の先を制したその声音は、今まで幽が聞いたことのないものだった。
昔から、幽を溺愛していた静雄。
喧嘩をして自分にキレることはあっても、こんな感情を押し殺したような声音を自分に発したことがなかった。
それだけに、幽は気づく。
静雄は、自分の知らない間にどうしようもなく変わってしまったのだと。
「気づいたんだ。俺は記憶を失ったあいつを気に入ってるんじゃない。俺は前からあいつのことが…」
幽はおもむろに立ち上がると、奥にみえる扉へと駆け寄った。
「幽!」
静雄の口から悲鳴のような制止がもれた。だが、無視して扉へと手をかける。
今の幽は、静雄を説得する言葉を持たない。
そうと分かれば、幽ができることは一つしか残されていなかった。
――臨也の記憶を取り戻させるのだ。
臨也の記憶が戻れば、先ほどの静雄の言葉の通り臨也は彼の手をすり抜けていくだろう。
そうすれば、この不自然な今の状況は打ち破られる。
そう。打ち破られる、のだ。
「――っ!」
幽は、勢いよく扉を開いた。
寝室と思われるその部屋には、セミダブルのベッドが一つだけ置かれていた。部屋を彩る装飾品もなければ、テレビのような娯楽品もない。えらく殺風景な部屋だ。
臨也は、そんな部屋のベッドの上で、小さく丸まるようにして眠っていた。
まるで何かから身を守ろうとしているかのようなその体勢に、幽は先ほど臨也が発狂していたことを思い出す。
臨也を起こせば、また狂ったように叫びだすのかもしれない。そう思うと、少しだけ幽の胸が痛んだ。
しかし、今は臨也の記憶を取り戻させることの方が先決だ。
記憶を失う前の臨也は、こんなに弱い人間ではなかった。だから、記憶を取り戻せば、また元の強い臨也に戻るのだろう。
つまり、今から行う行為は、静雄にとっても臨也にとってもためになる行為なのだ。
だから自分は間違っていない。
幽は、そう自分に言い聞かせると、眠っている臨也の肩に手をかけた。
そして、細いその体を揺さぶる。
「臨也さん」
「…」
「臨也さん、起きてください」
いくら体を揺さぶっても、臨也は起きようとしない。
幽はもっと大きく揺さぶろうと、臨也の肩を握る手に力をこめた。
そのとき、大きな手が幽の行為を制止した。
「やめろ、幽」
静雄は幽の手をやんわりと掴むと、臨也の肩から手を離させた。
「いくらお前でも、こいつに危害を与えることは許さねぇ」
「危害を与えるつもりはないよ」
「ああ?」
「臨也さんに今までのことを全て話すだけだ。兄貴と臨也さんが憎みあっていたこと、臨也さんが世界で一番嫌っていた人間は兄貴だったってことを。そうすれば、きっと臨也さんは何かを思い出す」
「……」
「思い出さなかったにしても、ここで二人で生活していることに疑問を感じるだろう。天敵だった人間が自分を囲っているんだ。ひょっとしたら恐怖を感じるかもしれない。そうすれば、臨也さんは家族の元に帰る。それが一番自然なことなんだ」
静雄は、たんたんと言葉を続ける幽を静かに見下ろす。
そして、幽の手をそっと離した。
「いいぞ。お前がそうしたいないらそうすればいい」
「…?」
「でも、無駄だ。臨也が俺の元を逃げ出したとしても、俺は臨也をここに連れ戻す」
「怯える臨也さんを監禁するっていうの?」
「違う。こいつは俺を怖がらない。一週間もすれば、また元の臨也に戻る。俺になつく元のこいつに」
「…すごい自信だね」
「だからそういうことじゃねぇんだ。幽、さっき話しただろう。病院に連れ戻してから、臨也は全ての記憶を失っていた」
幽は、静雄の言葉の真意が測れずに首をかしげた。
それが臨也が静雄を怖がらない理由とどう繋がるというのか。
「臨也は、記憶喪失を繰り返しているんだ。今もずっと」
「は?」
「臨也の記憶は、一週間しかもたない」
基本的にシズちゃんはものすごく忍耐力があるんじゃないかと妄想しています。シズちゃんには、逃げる臨也さんをどこまでも追いかけていってもらいたいです。
このお話の幽くん喋りすぎじゃない…?って感じで。
でもそう言って頂けて、少し安心しました。
嬉しいです。ありがとうございます!