§ 某大学病院
「あら、平和島さん。今日もいらしたんですか?」
看護師は点滴を交換していた手を止め、静雄に挨拶をした。
そんな看護師に静雄は小さく頭を下げる。何回か臨也の病室に通っているうちに、この看護師とはすっかり顔見知りになってしまった。
静雄は、手土産に持ってきたシュークリームを看護師へと渡す。途端に、看護師はうれしそうな声を上げた。
「毎日お見舞いに来てくださるなんて、友達思いなんですね。ナースステーションでは、平和島さんのことがちょっと話題になっているんですよ」
「話題っすか?」
「はい。イケメンの男の人が毎日通ってくるって」
「……」
「ほら、平和島さん格好いいから。おまけに、お相手の患者さんの方も格好いいですし。折原さんって美形ですよねぇ。看護師の中にはファンの子までいるんです」
そういいながら、看護師は臨也の顔を見つめた。
うっとり、とでも擬音がつきそうなその様子に、静雄は眉をひそめる。
臨也は、意識のないときまで人間をたぶらかしているのだ。もしかしたら、この男からは変なフェロモンでも出ているのかもしれない。
「こいつは、ひどい悪人ですよ。いいのは顔だけです。目が覚めたら、みなさんがっかりするんじゃないですか」
「あら、あなたはそんな人のところに毎日通ってるんですか。面白い方」
静雄の言葉を冗談だと受け取ったのだろう。看護師はほがらかに笑った。
その姿は、天真爛漫な少女と言った様子で、静雄は怒る気も訂正する気も起きない。
「でも悪人ではなにしろ、何か悩みは抱えていらっしゃるのかもしれませんね。折原さん、時々うなされているんです」
「…こいつが?」
「ええ、さっきもうなされていて。もう意識が大分戻りつつあるのかもしれませんよ」
看護師がそういうや否や、臨也がうめき声をあげた。
苦痛に満ちたその声に、静雄は思わず臨也の顔を覗き込む。
臨也は、額にびっしりと汗をかいており、顔は何かをこらえるかのように歪んでいた。もしかしたら、悪い夢でもみているのかもしれない。
静雄は、汗を拭おうと臨也の額に手のひらをのせる。
看護師はじっとその様子を見ていたが、少し躊躇したように呟いた。
「平和島さん、そんなに不安そうな顔をなさらないでください」
「……不安?」
「はい、平和島さんはいつも不安で心配そうな顔をしています。でもそういう感情って、きっと患者さんに伝わると思うんです。平和島さんがそんな不安そうな顔をしていたら、折原さんはきっと悲しくなると思いますよ」
看護師の真剣な眼差しにつられる様にして、静雄は思わず頷いた。
静雄が頷いたのを見て、看護師は途端に笑顔になる。そして止めていた手を動かし、空になった点滴パックを片付けはじめた。
「うなされているっていう事は折原さんも目を覚まそうと頑張っている最中なのかもしれません。だから、平和島さんも折原さんのことを応援してあげて下さい」
私も応援していますから、と最後にそう付け加えて看護師は部屋から出て行った。
静雄は、その後ろ姿をぼんやりと見送る。
そして看護師の姿が完全に見えなくなると、軽く自分の頬を叩いた。
静雄は、今まで自分がそんな顔をしていたとは気がつかなかった。
――でも不安、なのかもしれねぇな…。
臨也のことが好きなのだと自覚した途端、静雄の中に様々な感情が生まれはじめた。
今までにはなかったことだが、臨也の顔を見るだけで心が舞い上がる。
臨也に触れると、確かに感じられる温もりに安堵する。
そして、その温もりを抱きしめたいと思う。
こうして静雄が臨也を好きだという気持ちは、日に日に大きくなっていく。
それ故に、静雄は臨也が本当に目を覚ますのか不安だった。
臨也の主治医からは、数日中に目を覚ますはずだと聞いている。しかし、静雄が何度病室を訪ねても、臨也はその目を開かない。
「まさかてめーの減らず口を聞きたくなる日がくるとは思わなかったぜ」
静雄は、ベッドの臨也のもとへと視線を落とした。
臨也はもううなされていなかったが、それでも眉間に皺を寄せ、どこか苦しそうな顔をして眠っていた。
額に張り付いた髪がうっとうしそうだと思い、静雄は臨也の髪をかきあげる。
そうすると臨也の顔が少しだけ和らいだような気がした。
「なぁ、てめぇは今どんな夢を見てるんだ?」
臨也にとって悪夢であるとしても、その夢に自分が出てくることを静雄は願う。
例え夢の中でも、臨也が他人に苦しめられるなんてのは冗談でない。臨也が自分以外の人間のことで頭を悩ませるなんて到底許すことができない。
心の中に湧き上がるどす黒い嫉妬に、静雄は苦笑する。
自分はこの少しの間に、随分と臨也にとらわれてしまったらしい。
――いや、俺はずっとこいつにとらわれ続けていたのかもしれねーな。
高校に入学し、臨也と出会ってから、静雄は他の人間に目がいかなくなってしまった。
臨也が視界に入った瞬間、静雄の体中の血が騒ぎ出し、他の人間のことなどどうでもよくなる。
そして、静雄は臨也が逃げ切るまでどこまででも追い続けた。
これが例え嫌悪感から来るものだとしても、静雄にとって臨也はずっと『特別』だった。
「本当にひでぇ人たらしだよ。てめーは」
そういいながらもう一度臨也の髪をかきあげると、臨也が小さく身じろぎした。
そして、ゆるゆると臨也のまぶたが開いていく。
静雄は、驚いて動きを止めた。
ずっと臨也が目覚めることを切望していたが、突然のことで心の準備ができない。そして何より久しぶりにみた臨也の瞳の色に魅せられて、静雄は金縛りにでもあったように硬直した。
そうこうしている間に、臨也の瞳はまたゆるゆると閉じられていく。
「臨也、目が覚めたのか?」
静雄は、小さく声をかけた。臨也が目覚めたのだという期待感で、知らずのうちに声が震える。
しかし、臨也は静雄の問いかけに答えない。
それどころか、ずっと顔を見つめていてもその瞼が再び開く様子はなかった。
静雄は期待を裏切られ、小さくため息をつく。
「早く起きろよ、臨也。てめーが静かだと気色悪ぃ…」
そう言いながら、静雄は臨也の髪を梳く。そして、決意した。
臨也が目覚めて、またあの減らず口を叩けるようになったのなら、まずは自分の思いを伝えるのだ。
お前のことが大事なのだと伝えたら、臨也は一体どんな反応をするのだろうか。
驚くだろうか。
怒るだろうか。
はたまた静雄のことを嘲笑うのだろうか。
それとも、これまでの天敵からそんなことを告げられたら、嫌がらせだと受け取るのかもしれない。
そうしたら、自分が本気だと分からせるまで何度でも思いを伝えよう。
そして、もし思いが通じ合うことがあったなら、今度は思い切り臨也を大事にするのだ。
臨也が嫌がったって構わない。
もうやめてくれと臨也が悲鳴をあげるくらいに、ズブズブに甘やかしてやる。
周囲が引こうと、変な目で見られようと、そんなものはクソくらえだ。
でも、その前にただひとつ。
今回、この目の前の存在に散々振り回されたことには、多少腹が立っている。
だから――
「起きたら、まず一発殴るからな。覚悟してろよ」
そういって静雄が頭を小突くと、臨也の顔が少し笑った気がした。
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