§ 池袋某公園前
「セルティさんじゃないっすか」
突然声をかけられ、セルティは徐行させていたバイクを止めた。
声のした方を振り向くと、ワゴン車の中から遊馬崎と狩沢が手を振っている。
よく見るとワゴンの奥には、門田や渡草もいるようだ。
「こんな昼間に珍しい。仕事帰りっすか?」
『ああ。お前達はこんなところで何をしてるんだ?』
「何って…ねぇ」
遊馬崎と狩沢が顔を見合せ、心底楽しそうな笑みを浮かべた。
その瞬間、ワゴン車の荷室の方からくぐもったうめき声が聞こえてくる。
セルティは、二人の手に握られた血濡れの電撃文庫に目を留め、深く追求するのはやめることにした。自らが非日常的な存在である以上、平穏な生活をおくるためには、ある程度の自衛が必要だ。
「それより急ぎで運んできてもらいたいものがあるの。仕事帰りに悪いんだけど、ちょっと頼まれてくれない? 私達は今手が離せなくてさ」
『悪いが今日は…』
「臨時収入が入ったから報酬は弾むっすよ」
『話を聞こうか』
今日は新羅のために、晩御飯を作るつもりだったが仕方がない。
臨也から紹介される仕事は高額のマージンをとられるため、こういう仕事は大事にしなければならない。
そして何よりセルティは、昨日発売になったヒトシ君人形の限定生産版が欲しかった。
――百個限定だそうだし。早くしないと売切れてしまう。
セルティは詳しい話を聞こうと、愛馬を電柱に繋ぎ、ワゴン車のほうへ歩み寄る。
と、そのとき――
セルティの体に後ろから何者かがぶつかってきた。
『!?』
「あ、わりー。今ちいっとばっかし急いでいるから、またな」
そういって、ドレッドヘアの男が物凄いスピードで走り去っていった。10秒も経たないうちに、男はすっかり見えなくなる。
セルティはどこか見覚えのある男の姿に、首を傾げた。
そして、去り際に男がセルティに囁いていった言葉も気にかかる。
――今回の借りはいつか必ず返す…? 『借り』って、何だ?
セルティのことをまるで見知っているかのような口調。
それにドレッドヘアの男は、人にぶつかったというのになぜかとても嬉しそうだった。とても見知らぬ人間に謝る態度ではない。
ということは、男とセルティは知り合いなのだと考えるのが自然なのだろう。
男が誰だったか考え込むセルティに、遊馬崎が声をかけた。
「今の人って静雄さんの上司ですよね。あんなに慌ててどうしたんすかねぇ」
――ああ、そういうことか。
セルティは納得し、それと同時に男が言った言葉の意味も理解した。
そして、自らの身に危険が差し迫っていることを悟る。
『おい、お前ら逃げた方が…』
セルティがPDAに文字を打ち込んでいると、『それ』は突然空から降ってきた。
あれと思う暇もなく、物凄い音がして自動販売機がワゴン車の近くに落ちる。
そして、その横を黒い影が飛ぶようにしてすり抜けた。
「てめぇ、臨也逃げんじゃねぇ!」
「やだよ。シズちゃんってば気持ち悪いんだもん」
「何が『だもん』だ。虫唾が走るからその口調はやめろつってんだろうが!」
ワゴン車から少し離れたところで、静雄と臨也が殴り合いの喧嘩を始めた。
殴り合いの喧嘩とはいっても、静雄が一方的に拳を繰り出し、臨也はそれを避けているだけなのだが。
それでも、臨也の手がコートのポケットに入っているところを見ると、もうじきナイフで交戦しだすのかもしれない。
「何だ、またあいつらか」
突然の轟音に驚いたのだろう。ワゴン車の奥から門田が顔を出した。
「臨也さん、退院したんですねぇ」
「結構な大怪我をしてたって聞いてたけど、もうあんなに動き回れるんだな」
「もうちょっとくらい入院してくれていたほうが、街の平和のためにはよかったかも」
「そんなこと言っちゃってー。ゆまっちだって、こうして二人が喧嘩しているところが見られてうれしいんじゃない?」
狩沢の言葉に、一同は顔を見合わせた。
そして、一斉に頷く。
「まぁ、あの二人が喧嘩してねぇと、何か調子が出ないよな」
「いつもの池袋って感じがしないっすよね」
門田と遊馬崎の言葉に、セルティは同意した。臨也が刺されてから暫くの間、静雄は本当に元気がなかったし、あんな姿の友人を見るのは辛かった。
だから、静雄も臨也も元気になってくれて本当によかったと思う。
「お、臨也もナイフを出したぞ。あいつら本格的におっぱじめやがったな」
門田の指摘に、セルティは静雄と臨也の方へと目を向けた。
臨也はナイフを構え、笑いながら切っ先を静雄の方へと向けている。
静雄は、ナイフを構えられているにもかかわらず、どこか嬉しそうに舌なめずりをした。その様子は、まるで獲物を狙う肉食動物のようだ。
この比喩は決して的外れなものではないのだろう。
きっとこの瞬間にも、静雄は臨也のことを狙っているのだ。それこそ死に物狂いに。
セルティは、静雄から臨也とどうなったのか聞いていない。しかし、今こうして向かい合っている二人を見て、ふと二人がうまくいったような気がした。
あの日、静雄から聞かされたのは、狂おしいばかりに相手を思う情だった。
セルティは、新羅のことが好きだし、自分以上に新羅のことを思っている者はいないと信じている。
しかし、静雄の臨也に対する思いは、セルティがこれまで経験した恋愛とは、全く別次元のものだった。
相手を殺し、喰らい尽くしてもなおつきそうにないその深い情。
静雄の思いとセルティの思いのどちらが上かという問題ではない。全く、相手に対する思いのベクトルが違うのだ。
それでも、静雄の臨也に対する感情は、確かに恋愛感情なのだとセルティは理解することができた。
静雄は静雄なりに、全力で臨也を「愛して」いるのだろう。
そして、もしかしたら臨也の方も――
「うわ。臨也さん、モロいきましたね」
遊馬崎の言葉通り、臨也が静雄の腹へとナイフを突き立てていた。
しかし、ナイフはちっとも進んでいるようではない。やがて、静雄が額に青筋を立てて、臨也の腕をひねり上げた。
臨也は、思わずといった様子でナイフを取り落とす。カランカランとナイフが転がる音が悲しく響いた。
「こりゃ、勝負あったな」
門田の言葉に、狩沢と遊馬崎が口々に同意する。
すると突然、臨也が腹を抑えたまま地面に蹲った。
静雄が焦ったように、臨也の腕を放す。そして臨也の顔を覗き込むようにして、しゃがみこんだ。
臨也はまるでそれを待ち構えていたように、低い姿勢から静雄の頭へとドロップキックを繰り出す。
さすがの静雄も、これは避けきれずにもろに喰らった。
臨也は、その隙に静雄から逃げ出す。
「うわ…えげつない」
「何ていうか、珍しいな」
「シズちゃんってば、今イザイザのことを心配して攻撃の手を緩めたよね。こんなことって今までになくなかった?」
「相手が病みあがりだから調子が狂ったんだろう。静雄は優しいから」
「むしろ、ただ単に手が滑っただけじゃないっすか」
「そうかなぁ、今絶対にイザやんのことを心配してたと思うんだけど。これってつまりは…!」
「あー、はいはい。狩沢さんは黙っていてください」
遊馬崎は、狩沢の口を手で塞ぐ。狩沢は、いいたい言葉を続けることができずに、フガフガと言葉にならない抗議をした。
門田が、そんな二人の様子をみてため息をつく。
そして、そのまま静雄と臨也に視線を移すと、先ほどのキックから早々に立ち直った静雄が、臨也に攻撃を仕掛けていた。
「でもあの二人、雰囲気が変わったよなぁ」
「そうっすか?」
「ああ、何だか丸くなったような気がする。ほら…」
「あれ? …笑ってる?」
セルティは、二人が喧嘩する様子から、ずっと目が離せないでいた。
まず、静雄が臨也に蹴りを繰り出し、臨也はそれをひらりと避ける。
さらに避け際に、臨也はナイフを突き出し、それを静雄が軽やかに避ける。
そして二人の顔には、緩やかな笑みが浮かんでいた。
笑みを浮かべながら喧嘩をするその様子は、ひどく楽しそうで、まるでじゃれあっているかのようだ。
「笑いながら喧嘩って、一体どこの戦闘民族っすか。そのうち髪の毛が金色になって逆立ったり…」
「いやいやいや」
「だから言ったじゃん。二人は喧嘩をすることで、お互いの愛情を確認し合ってるんだよ!」
狩沢が遊馬崎の腕を抜け出し、声高々に宣言をする。
狩沢の宣言を聞いて、遊馬崎と門田はげんなりとした顔をした。
「狩沢、そういう目で知り合いを見るのはやめろ」
「大丈夫! ドタちんやゆまっちで妄想するのは自重するから」
「いや、そういう問題じゃなくってすね…。ほら、セルティさんからも言ってやって下さいよ。あの二人がデキるなんて太陽が西から昇ったってありえないって」
遊馬崎にせがまれて、セルティはゆっくりと視線を戻した。3人の表情は真剣そのもので、セルティの答えをじっと待っている。
今までだったら、セルティは間違いなく遊馬崎と門田に味方しただろう。静雄と臨也が愛し合うところなんて、想像もできなかったし、吐き気すら催した。
しかし、今は――
『いや、そんなことはないと思うぞ』
セルティは、PDAに文字を入力すると、高々と掲げた。
迷いなくこう答えられる自分が、何だか少し誇らしい。
セルティの答えに遊馬崎と門田は慌て出し、狩沢は同士を見つけて喜びの声を上げている。
一気に騒がしくなった周囲の人間から少し離れると、セルティは再び静雄と臨也に視線を移した。
二人の喧嘩はまだ続いている。
この喧嘩は、きっとサイモンがやってくるまで、終わらないのだろう。
ひょっとしたら狩沢のいうとおり、二人は喧嘩をすることでお互いの存在を確認しあっているのかもしれない。
それが、きっと不器用な二人の愛情確認なのだ。
「幸せになれよ」
セルティは、二人を見つめたまま小さく呟く。
この呟きは当然声にはならず、池袋の空へと溶けていった。
(了)
§ 某大学病院
「あら、平和島さん。今日もいらしたんですか?」
看護師は点滴を交換していた手を止め、静雄に挨拶をした。
そんな看護師に静雄は小さく頭を下げる。何回か臨也の病室に通っているうちに、この看護師とはすっかり顔見知りになってしまった。
静雄は、手土産に持ってきたシュークリームを看護師へと渡す。途端に、看護師はうれしそうな声を上げた。
「毎日お見舞いに来てくださるなんて、友達思いなんですね。ナースステーションでは、平和島さんのことがちょっと話題になっているんですよ」
「話題っすか?」
「はい。イケメンの男の人が毎日通ってくるって」
「……」
「ほら、平和島さん格好いいから。おまけに、お相手の患者さんの方も格好いいですし。折原さんって美形ですよねぇ。看護師の中にはファンの子までいるんです」
そういいながら、看護師は臨也の顔を見つめた。
うっとり、とでも擬音がつきそうなその様子に、静雄は眉をひそめる。
臨也は、意識のないときまで人間をたぶらかしているのだ。もしかしたら、この男からは変なフェロモンでも出ているのかもしれない。
「こいつは、ひどい悪人ですよ。いいのは顔だけです。目が覚めたら、みなさんがっかりするんじゃないですか」
「あら、あなたはそんな人のところに毎日通ってるんですか。面白い方」
静雄の言葉を冗談だと受け取ったのだろう。看護師はほがらかに笑った。
その姿は、天真爛漫な少女と言った様子で、静雄は怒る気も訂正する気も起きない。
「でも悪人ではなにしろ、何か悩みは抱えていらっしゃるのかもしれませんね。折原さん、時々うなされているんです」
「…こいつが?」
「ええ、さっきもうなされていて。もう意識が大分戻りつつあるのかもしれませんよ」
看護師がそういうや否や、臨也がうめき声をあげた。
苦痛に満ちたその声に、静雄は思わず臨也の顔を覗き込む。
臨也は、額にびっしりと汗をかいており、顔は何かをこらえるかのように歪んでいた。もしかしたら、悪い夢でもみているのかもしれない。
静雄は、汗を拭おうと臨也の額に手のひらをのせる。
看護師はじっとその様子を見ていたが、少し躊躇したように呟いた。
「平和島さん、そんなに不安そうな顔をなさらないでください」
「……不安?」
「はい、平和島さんはいつも不安で心配そうな顔をしています。でもそういう感情って、きっと患者さんに伝わると思うんです。平和島さんがそんな不安そうな顔をしていたら、折原さんはきっと悲しくなると思いますよ」
看護師の真剣な眼差しにつられる様にして、静雄は思わず頷いた。
静雄が頷いたのを見て、看護師は途端に笑顔になる。そして止めていた手を動かし、空になった点滴パックを片付けはじめた。
「うなされているっていう事は折原さんも目を覚まそうと頑張っている最中なのかもしれません。だから、平和島さんも折原さんのことを応援してあげて下さい」
私も応援していますから、と最後にそう付け加えて看護師は部屋から出て行った。
静雄は、その後ろ姿をぼんやりと見送る。
そして看護師の姿が完全に見えなくなると、軽く自分の頬を叩いた。
静雄は、今まで自分がそんな顔をしていたとは気がつかなかった。
――でも不安、なのかもしれねぇな…。
臨也のことが好きなのだと自覚した途端、静雄の中に様々な感情が生まれはじめた。
今までにはなかったことだが、臨也の顔を見るだけで心が舞い上がる。
臨也に触れると、確かに感じられる温もりに安堵する。
そして、その温もりを抱きしめたいと思う。
こうして静雄が臨也を好きだという気持ちは、日に日に大きくなっていく。
それ故に、静雄は臨也が本当に目を覚ますのか不安だった。
臨也の主治医からは、数日中に目を覚ますはずだと聞いている。しかし、静雄が何度病室を訪ねても、臨也はその目を開かない。
「まさかてめーの減らず口を聞きたくなる日がくるとは思わなかったぜ」
静雄は、ベッドの臨也のもとへと視線を落とした。
臨也はもううなされていなかったが、それでも眉間に皺を寄せ、どこか苦しそうな顔をして眠っていた。
額に張り付いた髪がうっとうしそうだと思い、静雄は臨也の髪をかきあげる。
そうすると臨也の顔が少しだけ和らいだような気がした。
「なぁ、てめぇは今どんな夢を見てるんだ?」
臨也にとって悪夢であるとしても、その夢に自分が出てくることを静雄は願う。
例え夢の中でも、臨也が他人に苦しめられるなんてのは冗談でない。臨也が自分以外の人間のことで頭を悩ませるなんて到底許すことができない。
心の中に湧き上がるどす黒い嫉妬に、静雄は苦笑する。
自分はこの少しの間に、随分と臨也にとらわれてしまったらしい。
――いや、俺はずっとこいつにとらわれ続けていたのかもしれねーな。
高校に入学し、臨也と出会ってから、静雄は他の人間に目がいかなくなってしまった。
臨也が視界に入った瞬間、静雄の体中の血が騒ぎ出し、他の人間のことなどどうでもよくなる。
そして、静雄は臨也が逃げ切るまでどこまででも追い続けた。
これが例え嫌悪感から来るものだとしても、静雄にとって臨也はずっと『特別』だった。
「本当にひでぇ人たらしだよ。てめーは」
そういいながらもう一度臨也の髪をかきあげると、臨也が小さく身じろぎした。
そして、ゆるゆると臨也のまぶたが開いていく。
静雄は、驚いて動きを止めた。
ずっと臨也が目覚めることを切望していたが、突然のことで心の準備ができない。そして何より久しぶりにみた臨也の瞳の色に魅せられて、静雄は金縛りにでもあったように硬直した。
そうこうしている間に、臨也の瞳はまたゆるゆると閉じられていく。
「臨也、目が覚めたのか?」
静雄は、小さく声をかけた。臨也が目覚めたのだという期待感で、知らずのうちに声が震える。
しかし、臨也は静雄の問いかけに答えない。
それどころか、ずっと顔を見つめていてもその瞼が再び開く様子はなかった。
静雄は期待を裏切られ、小さくため息をつく。
「早く起きろよ、臨也。てめーが静かだと気色悪ぃ…」
そう言いながら、静雄は臨也の髪を梳く。そして、決意した。
臨也が目覚めて、またあの減らず口を叩けるようになったのなら、まずは自分の思いを伝えるのだ。
お前のことが大事なのだと伝えたら、臨也は一体どんな反応をするのだろうか。
驚くだろうか。
怒るだろうか。
はたまた静雄のことを嘲笑うのだろうか。
それとも、これまでの天敵からそんなことを告げられたら、嫌がらせだと受け取るのかもしれない。
そうしたら、自分が本気だと分からせるまで何度でも思いを伝えよう。
そして、もし思いが通じ合うことがあったなら、今度は思い切り臨也を大事にするのだ。
臨也が嫌がったって構わない。
もうやめてくれと臨也が悲鳴をあげるくらいに、ズブズブに甘やかしてやる。
周囲が引こうと、変な目で見られようと、そんなものはクソくらえだ。
でも、その前にただひとつ。
今回、この目の前の存在に散々振り回されたことには、多少腹が立っている。
だから――
「起きたら、まず一発殴るからな。覚悟してろよ」
そういって静雄が頭を小突くと、臨也の顔が少し笑った気がした。
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